2012/06/28

ウズベク伝統人形


われらは人形で人形使いは天さ。
それは比喩ではなくて現実なんだ。
この席で一くさり演技をすませば、
一つずつ無の手筥に入れられるのさ。
オマル ハイヤーム

614日、タシケントにあるアートギャラリー「GRANART」にウズベク伝統人形のプレゼンテーションがありました。娘と一緒に行って来ました。ウズベク人形は大きく三つの種類があり、縫いぐるみ、操り人形と張り子(papier-mache)です。
中央アジアの大衆の間に人気ある移動人形劇場が5世紀頃から栄えて来ました。劇場は三人から成っていました:一人は人形を動かし、一人は声を出す。もう一人は楽器を鳴らしていました。人形さんは指三本に操られる張り子でした。ウズベキスタンはソ連の一部になって以来、近代化と共に伝統人形の製作が無くなり、移動人形劇場の文化も衰退して行きました。が、独立を得てから、ウズベク伝統的な手工芸に興味が高まり、ブハラやヒワなどの町に人形さんの製作も始まりました。
ブハラ、リャビ・ハウスの近くにある伝統人形の工房にて
ブハラの王様、彼の奥さん達と高官達です。皆手作り

子供たちに一番愛されるのは縫いぐるみですね。これから、二ヶ月半にかけて自分の手で人形さんを作るクラスがオープンします。週一回です。娘もやりがいがあるみたいで、行きます。




男の子、伝統的なオーバー:「チャパン」を着ています



人形の服の素材になる伝統的な布


2012/06/27

Tashkent Miran Hotel

かつてウズベキスタンで一位だった5つ星のインターコンチネンタル・ホテルが2012年にウズベキスタン市場を去って行きました。ホテルは残っていますが、マネージャーは変わりました。528日からホテルは「Incontinental」に名前を変えました。

さて、今日はタシケントに新しく出来た5つ星の「MIRAN」ホテルをご紹介します。20124月にオープンしたばかり、エレガントでひろ~いホテルです。場所は、タシケントの中央部、アミル・ティムール広場の近くにあります。客室は140あります。スタンダードシングルルームは65平方メートルで、感動しました。ビジネスセンター、会議室、宴会場があって、ビジネスマーンにとって快適です。そして、近代的なスポーツホール、プール、蒸しサウナ、ジャグジーなどもあります。
MIRANホテルのホールです

七階の建物です

客室のタイプ:
  • ハイレベルのスタンダード
  • デラックス
  • プレミアム
  • スイート
各客室にあるもの:
  • 全室に42″フラットケーブルテレビ
  • 部屋ムードに応じる経営システム
  • 電子キーカード
  • 単一のボタンを含める電話
  • 省エネシステム
  • スイートプレミアム客室でのフルーツバスケット
  • バス施設、医療キット、高価なバスローブとスリッパ
  • 防音室、ガラス張りの窓
  • 火災時の保護マスク。デザインの良いお部屋は、安全な生活を提供します
  • 煙表示器。
  • 噴霧器
  • すべてのお部屋でセキュリティの電子制御
  • 24時間の建物テリトリーのセキュリティ
  • すべての客室のWi- Fiへの接続
シングル・スタンダートルームです




Address 4, Shahrisabs passage, Mirabad district, Tashkent city, Uzbekistan.



ウズベキスタンん全てのホテルの手配は出来ます。詳しくはメールにてお問い合わせください。

2012/06/18

Tashkent Lakeside Golf Club


タシケント郊外にあるタシケントレークサイドゴルフクラブ(Tashkent Lakeside Golf Club)を見に行って来ました。1998年にオープンした国際規格を満たすゴルフクラブです。ウズベキスタン唯一のクラブです。美しいロハット池の側近にあって、ここからはっきりと天山山脈が見えます。


18ホール、7035ヤードのコースです。練習場、レストラン、プールもあります。ゴルフ道具はレンタル出来ます。タシケントの中心から車で15分ぐらいで、行きやすいです。
オーナさんは韓国人で、毎年韓国や日本から来るお客様の数が高まっています。その理由は、他の国に比べて値段的には安いからです。ウズベキスタンの夏の気温は35-40度ぐらいですが、空気が乾燥していますので、過ごしやすいです。青い芝生のゴルフ場はほとんど年中無休です。




一ラウンド当たりは104ドルです。土、日は135ドルです。ゴルフ道具のレンタルは30ドル、二人乗りのゴルフカーは一日60ドルです。プレイヤー一人にキャディーさんが一人ついています。キャディーさんは基本的に給料はなく、チップのみが収入です。一ラウンドのチップは10ドルからです。


Tashkent Lakeside Golf Clubのアドレス:Lake Rohat#1 Bektemir, Tashkent, Uzbekistan   Tel:(99871)2956990~3


2012/06/15

サマルカンドのシンボル



8世紀のイスラム聖職者ムハッマド・イブン・イドリスによると、大昔サマルカンドの場所に町が初めて出来た日、ゼラフシャン山脈から豹が降りて来ました。町の周囲を回ってみて、ここに住んでもいいよと承認してサマルカンドに来た人々を祝福しました。それから山の方に戻ったという伝説です。その時から、豹は町の保護動物になり、サマルカンドのシンボルになりました。サマルカンド人は豹のように自尊心があって、正直で、その心が求めるのは美と名誉だけだとイブン・イドリスが書いています。
1404年にサマルカンドを訪れたスペインの使節ルイ・ゴンサレス・デ・クラヴィホの旅行記にも、チムル帝国の前の時代に豹はサマルカンドのシンボルとして旗や章などに描かれていたと書いてあります。
アミル・ティムールの時代に(14-15世紀)豹が人々からほとんど忘れられていました。その理由はアミル・ティムールは自分のエンブレムとしてタムガと言う3つの黒い円を選んだからです。14世紀に世界はアジア、アフリカとヨーロッパから成り立っていると信じられていました。全世界の王様になりたいと言う希望を込めたタムガはその時代の旗や貨幣やティムールの印章などによく現れています。


16世紀になって、アミル・ティムール帝国はシャイバーニー・ハーン国に滅ぼされた後、豹は又登場します。今度はレギスタン広場にあるシェル・ドル・メドレセです。イスラム教には偶像崇拝は禁じられているのに、どうしてこのイスラム建築の神学校の入り口のところにライオンか虎に見える動物が描かれているとよく観光客の質問が出ますね。




1619年にシェル・ドル・メドレセの建設を命令した王様はヤラングトゥシュ・バハドゥル、カザフ系の人だったが、建築家はペルシアの人でした。
古代ペルシアのゾロアスター教でライオンは最高神、光のアフラ・マズダーのシンボルでした。そして、中世のマニ教においての光明神、太陽と同一視されたミトラのシンボルでもありました。その起源は獅子宮は太陽の実家であるというメソポタミア天文学の考えです。太陽が最も高く上がる夏至日は621日頃、獅子宮に留まる時です。百獣の王、力強いライオンは王様の権力の象徴でもありました。
9世紀中央アジア生まれの占星術師アブー・マーシャルの作品から

1979年までにイランの国章にシルバーの剣を持ったライオンと太陽のシンボルが印されていました。
ペルシア、モンゴル、アラブ、突厥の伝統の結合である太陽とライオンのシンボルは12世紀から中央アジアにも広く普及されました。が、ここは獅子よりもっと有名な豹に変わりました。


イスラム教では、動物や人間を描く人は自分を地球全ての創造主と同じ立場になろうと欲望を抱いていると考えられています。又、なにかを描くとそれは神様の代わりに崇拝の対象になってしまう恐れがあります。なので、大昔からイスラムの建物などの飾りとして、幾何学的な模様やアラベスクなどが使われていました。しかし、どんな規則があっても、それをうまく回避する方法はあるでしょう。昔の建築家たちは神様の創造でなく実際に存在しない動物だったら、描いてもいいでしょうと考え出しました。その結果は今のシェル・ドル・メドレセにあるファンタスティックなライオンか豹のような動物です。

ところで、シェル・ドルの太陽に描かれている顔は女性の顔です。ペルシア語でフルシド・ハヌム、太陽の女王と言います。



この頃、サマルカンドを訪れる旅行者はこの絵をよく目にするでしょう。

1994年に出来たサマルカンドのエンブレムです。それを描いたのはグリゴリ・ウリコ(Григорий Ильич Улько) (1925 – 1999 )、サマルカンドの優れたアーティストでした。エンブレムのインスピレーションになったのはソグド人の神話によく登場する雪豹とウリコさんのペット猫プロホルちゃんだったと言われています。
ソグディアナの兵士達が使用た赤い丸盾の中心に翼のある雪豹が描かれています。豹はサマルカンドに来る旅行者を祝福しているように前足を挙げています。豹の下にゼラフシャン川を象徴する波状のゴルド色のベルトがあります。「ゼラフシャン」はペルシア語で「ゴルドを齎す川」という意味です。盾の上の方の七芒星は科学、アートと建築術の統一のシンボル、又、宇宙の神秘的な図形でもあると言われています。

2012/06/04

タシケントの教会巡り


63日、タシケントの寺院を巡る見学に行って来ました。国際的な町のタシケントにいろいろな宗教の人々が平和で共生しています。イスラム教のモスクはもちろん数多くありますが、他には東方正教会やカトリック教会、仏教の寺院などもあります。
タシケントの旧市街にこんな建物がありました。1888年に建てられた小さなチャペルです。ここは1895年の帝政ロシアによるタシケント攻撃の時に亡くなった24人のロシア兵士たちが葬られています。1888年、記念に礼拝堂が出来ました。百年以上が経っていますが、地元の人たちはここがどのような建物かということを全く知りません。

1905年に建てられたアレキサンダー・ネフスキー聖堂。
ウズベキスタンの一番古い正教会です。


タシケントの緑に隠された1899年のルター派教会です。ドイツ人がよく行きます
教会の中
最後にはタシケントの豪華なロマ・カトリック教会です。建設は1912年に始まって、ソ連の時に停止されました。88年後、2000年に久しく待ち望んだ寺院の建設の完成を祝いました。パイプオルガンがあって、オルガンの演奏やコンサートがよく行われています。

イエスの神聖な心の大理石のモザイク